Pearly Gates

...If heaven exists, what would you like to hear God say when you arrive at the Pearly Gates?

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2007年10月27日。

実家から、在来線でゆるりと神戸へ。
JR岐阜駅→JR神戸駅だと、新幹線でも在来線でも、時間はほとんど変わらないのです。

全体感を持たずに機能追加したシステムみたいなもんです。
設計ミス、そして政治的事情。

…逆にわかりづらい喩えで恐縮です。


学生時代も実家との往復は専ら在来線だったので、昔を思い出すには丁度良くて。

大阪あたりから関西弁が聞こえ始め、六甲道あたりで見慣れた景色が眼に映り始めると、
「あー、帰ってきたんだなぁ」とお手軽に感傷に浸ることができるのです。

横浜から実家に帰るときは、そんな感覚は一切無いんですけどね。
よっぽど好きなんだろうなぁ、神戸。


20071028_1.jpg
みなとこうべ。横浜とはまた違った良さがあるのです


ちょっと懐かしい人と会ってから、結婚式場へ。
ここでは、"ちょっと"じゃ利かないくらい懐かしい人たちとの再会。

プチ同窓会気分ですね。

サークルの同期と後輩のカップルだけあって、サークル色の強い空間でしたが。
新郎の意外な一面が垣間見えまくり、ほっこりした気持ちになりました。

趣味であるサッカー優先に見せつつ、そこかしこで顔を覗かせるラブ要素。
Pink piggyにあんな意味があったとはねぇ。

何はともあれ、良い式でした。


披露宴後は、"腹ごなし"を建前に姉(仮)と三ノ宮までプチデートをして、一人で京都へ。
周囲からすれば若干奇異に映っただろうは思いますが、まぁそういう関係なので。

この人とは、恋愛相談も人生相談も、年々ディープでリアルになってきているのですが。
お互い、どうにも恋愛力に欠けてる気がしてなりません。


それはそれとして。

神戸で結婚式に参加して、その後京都に移動し、別のカップルの三次会に参加する。

周囲からは"お前らしい強行軍だ"と言われながらも、
自分の中では"お祝い事なんだから当然じゃん♪"くらいの感じだったのですが。

やってみると、正味の話けーっこうダルかったです(笑)。
やっぱ、披露宴でそれなりに飲んでから90分以上かけて移動するのは…。

JRだけで移動できるならいいものの、おけいはんに乗るのは何気に初だっつーの。
とは言え、一種の小冒険みたいで、結構楽しかったですけどね。


二次会で帰ってしまった友人に会えなかったのは残念でしたけど、
新郎新婦の職場はすごく雰囲気が良いんだろうなというのは、見て取れましたし。

初対面だった新郎さん、すっごくいい人でしたし。
そしてその新郎はともかく、新婦を胴上げする機会なんてなかなか無いですし。

ちょいと頑張って移動しただけの甲斐はありました。


しかも、ホテルでは意外な先輩と相部屋になりつつ、いろいろ語った挙句、
別働隊から呼び出され朝の5時まで飲むという、理想的な展開。

京都の夜を満喫できましたさ。


翌、2007年10月28日。

京都は夜だけ。
観光をする暇もなく、新幹線で横浜へ。

ボランティア参加は辞退したものの、横浜国際フェスタには顔を出しておきたかったので。

うーん、やっぱり強行軍かも、コレ。


20071028_2.jpg
きょうとたわー。他は何も見てませんわ


自分がお手伝いできなかったのは残念ですが、フェスタは良い具合に回っているようでした。
来年こそはちゃんと参加したいです。


20071028_3.jpg
みなとみらい。神戸と京都だけ贔屓するのもどうかと思ったので…


しかしまぁ、めでたくゴールインした人たちを祝福しながらも、
恋愛についていろいろ考えさせられた2日間でした。

密度濃かったなぁ…明日からちゃんと社会復帰できるかなぁ…。

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Work From Homeの略らしいです。
OOOは、Out of Officeの略らしいです。

約1年前に訪ねた某米国企業では、こういう意味不明な略語が飛び交ってました。
ただでさえこの業界、TLA(three letter acronym)が多いっつーのに…。

それはそれとして。


今日は振休。

結婚式ハシゴという衝撃的にメデタイ神戸・京都遠征に備え、
実家でゆるりとしようと思ったのですが。

こんな日に限って、お客様が私を休ませてくれません。
この2週間くらい大人しかったのに、なぜ人が休みと決めた日に限って…。

朝っぱらから、ヘルプを求めるメールと電話が。
自分しかわからない状況を作っちゃダメだとはわかっていますが。

そもそも上が人を当ててくれないんではねぇ。
自分がやるしかないんでしょう。

というわけで、午前中は家から一人で顧客対応。


ところが。

自分ひとりで判断し自分ひとりで行動すると、
予期せぬところで思い込みの罠が発生するもので。

ひとしきり対応を終えた後。
今月から入ったマネージャのか細い呟きのようなメールで、自分の読み違いに気づき。

反省しきり、なわけでした。


在宅勤務って、将来のワークスタイルとして、追うべき理想の一つだとは思いますけど。
逆に、三人寄れば文殊の知恵、とは良く言ったものです。

ヒト一人の判断なんて、思い込みや先入観で簡単に過ちを犯すもので。
複眼的な視点はやはり必要なのだぁと、反省ついでに感じ入ってました。


ま、そんな日々です。
数年ぶりなのに、秋の京都を堪能する時間が無いのだけが悔やまれるなー。

でも、そんなことを言ってる余裕があるだけ、恵まれてるんだろうなー。


最終日。
と言っても、朝4時起きで空港に向かい、パリを経由して帰国するのみ。

何もできませんわ。


空港へのシャトルバスが24時間運行とは何て素晴らしいと思っていたら、
意外なほどに混んでいました。

で、夜明け前にも関わらず、空港にも人がいっぱいでビックリ。
さすが観光立国と感心しながら土産物をあさり、セキュリティゲートを通ると。

その先には、ちょこんと座った日本人女性が。
そう、サントリーニで出会った関西お姉サマでした。


帰国予定日が一緒だとは聞いていましたが、ホントに再会するとは…。
今回の旅行、最初から最後までこんな調子です。

ただ、お姉サマズの1人(ドイツ在住)は、別便で既に発ってしまったとのこと。
しかも、「死ぬまでにもう一度ヤツに会いたい」という言伝てを遺して。

「既婚者にそこまで気に入られてもなぁ」と複雑な心境でいたところ、
「ひょんくん(弟さんのこと)にそっくりなんやってー」とフォローが入り、一転して納得。

やたら食事を勧めてくるわ、わざわざお菓子を持ってきてくれるわ、
妙に餌付けされてる感がありましたからねぇ…。


それから、飛行機に乗ること約3時間半。
往路は真っ暗で周りが全く見えなかった、パリに到着です。

ここで空港に着くなり、お姉サマはまた嬉しそうに英字新聞を見せてくれて、
「みてみてー、アベさんツブれたんやって」とはしゃぎます。

は?
ツブれたって、ナニゴト?

そう思いながら新聞を読ませてもらうと、確かにそう書いてあります。
日本のニュースをしばらく見ぬ間に、首相が辞任しているとは。

そういや、初海外でオーストラリアに行った時も。
帰途、香港に向かう飛行機の中で、当時の首相が逝去したことを知りました。

単なる偶然とはわかっていながらも、これはこれで複雑な心境になります。
Beyond the time.


で、パリ。
約2時間という、市街を目指すにはあまりに短い待ち時間。

エッフェル塔にタッチして帰ろうかという意見も出ましたが、
行き方も所要時間もわからない中では、さすがに無謀という結論に至り。

空港から一歩だけ外に出て、足跡を残すだけで満足しておきました。
フランス、ちゃんと観光するのはいつになるのかなー。

でまぁ、さすがおフランス、日本人が多いわけです。

空港内の免税店で、ワインをチェックしてもチーズをチェックしても、
聞こえてくるのは日本語ばかり。

レジに並んでいるのも8割方は日本人で、
さらにその8割がヴィトンなりエルメスなりの買物袋を持っているという構図。

そしてその裏側で展開されるのが、
バックパッカーはブランド漁りの日本人を白眼視し、
ショッピング満喫中な人々は場違いに小汚い日本人を見下すという構図。

フツーに仕事なんかで出会ったりしたら、仲良くできるんでしょうけどね。
戦場で出会う人々が無条件に敵同士なのと同様に、妙に深い溝を感じてしまいます。

人間とは、かくも浅ましき者なるかな。


それはそれとして、日本への空路。

フライトは10数時間もあるというのに、よりによってテレビが故障していました。
やんわりとクレームをつけて再起動やら何やらをしてもらっても、一向に改善せず。

「申し訳ございません。本日は同様の問題が多発しておりまして、
 画像が映るだけでも良い方でして…。何とかご理解いただけないでしょうか」
「そうですか…わかりました。もう打つ手も無さそうですしね」

なんて会話を、スキンヘッドのフレンチガイと交わしたものの。
同様の問題を抱えている人は、周囲には1人も見当たりませんでした。

…フン。


ま、しゃるるどごーる空港で買っておいたNational Geographicがあったので、
退屈はしませんでしたけどね。

英語版だと読むのに時間がかかるのが、逆に好都合で。
ずーっと読みふけっていました。

で、結局、飛行中は眠ることもほとんど叶わず、
翌日の仕事にバッチリ支障をきたしてしまいましたと☆


…旅行記のシメがこんなんでいいのか、自分?

パトラ。
一応、ギリシャ第三の規模を誇る商都らしいのですが。

…ワタシ、観光客ですからねぇ。
…単なる商業都市では、何をすればいいんですかねぇ。

とは言え、来てしまったからには精一杯堪能しましょうということで。


朝市をぐるっと周り、パン屋で焼き立てのパンを調達してから、
小高い丘の上にあるパトラ城跡へ。

歩きながら頬張ったアツアツのチーズパイがとっても美味だった時点で、
私の不機嫌はどこかに吹き飛んでいたわけですが…。


20071020_1.jpg
毀ちたる城壁


そのパトラ城、結構立派な城砦だったのですが、ぜーんぜん人はいませんでした。
逆にそのムードが、漂着した旅行者には心地良く。

頭の中では、Final Fantasy IVの"Castle Damcyan"が無限リピートしていました。
ゲーム中では、確か爆撃により壊滅した城のテーマ曲なのですが…。


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それでも国旗は燦然と


その後もぐるーっと街を回り、昨晩から目をつけていた靴屋へ。
ホントかどうかわかりませんが、ギリシャは革製品や靴がお買い得な国らしく。

実際、Camperのステキな靴が40% Offだというのが、
シャッターの無いショーウィンドウで露わに示されていたので。

ここまで流された末に出会ったのならこれもやはり天命だろうと、
相変わらず手前勝手に解釈していたわけです。

結果、現地最小サイズで自分の足にフィットし、めでたく契約成立。
端整な顔立ちに似合わぬオバチャンのアフロがとっても印象的なお店でした。


そして、アテネに戻る電車の中。
さすがに昨日までの教訓を活かし、駅名には注視していたのですが。

そんなこととは関係無しに実感したのが、この国の海のキレイさ。

ついちょっと前まで、沖縄の海が特別美しいものと思い込んでいたのですが…。

実は違う?
日本の海が汚すぎるだけで、沖縄ってば実は海なるもののフツーの姿?

いやでも、カナダやノルウェーでフェリーに乗ったときも、
海はここまで美しくはなかったような…。


20071020_3.jpg
車窓からパッと見えた、ビーチでもなんでもない海の群像


そんなことを思いながら、目的地にて出発の地、アテネに帰還したものの。
飛び込みでホテルを探すも満室で断られまくれ、結局初日と同じユースに行くハメに。

同室だった"ぽっちゃり系"のアメリカ人女子にアテネについてアレコレ語った後、
最後までとっておいた考古学博物館へ。

アメリカ人女子の観光情報によると土曜日は昼に閉まるとのことでしたが、
歩き方さんは夏なら開いているとおっしゃていたので。

ま、"行ったらわかる"という論理ですね。


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"現代のアゴラ"。生肉や生魚が陳列されている市場です


この博物館までの道中に確信したのが、人種と職業の関連性。

アテネで露店をやっているのは、ほぼ100%でインドなどの南アジア系の人。
街中のいたるところにあるキオスクでも、インドな人が多かったです。

で、アテネの目抜き通りでフェイクなブランド物を売ってるのは、
みんながみんな黒人さん。

何らかのコミュニティがあるのかもしれませんし、
旅行者には見えない範囲でホワイトカラーをやっている人もいるのでしょうけど。

すごく、露骨でしたね。

EU諸国でも、ドイツなどでは移民問題はよく聞くものの、
ギリシャのケースは正直よくわかっていないのですが。

潔いくらいに、わかりやすかったですね。

ま、そもそも移民受け入れに消極的であることと、
どちらが良い悪いという問題ではないのだと思いますが。


で、えーっと。
目的の考古学博物館は、ちゃんと開いていました。

ここがまた、すっごーく広くて。
それでいて、展示物がものすっごーく充実していて。

体力のあるうちに来た方が良かったと後悔しつつ、意地で全エリアを回りましたさ。


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アフロディテに手を出す愚か者。天使エロスと、美の女神のツッコミスリッパがステキ

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ゼウスなのかポセイドンなのかは不明だそうです


閉館まで粘った後、博物館の入口階段でぼけーっとしていたら。
また、日本人旅行者から声をかけられました。

今までの旅行は、自分から声をかけることの方が多かったのですが…
寂しい系のオーラでも出ていたのでしょうか?

この人に関しては、博物館の中で"日本人がいる"と気付いていたものの、
"すっげーすっげー"と言いながら展示物を写メで撮影していたので、
一種の防衛本能でコミュニケーションを避けていたという部分もあるのですが。


とはいえ、話をしてみるとそれなりに意気投合。

アテネ市街を一望できる、リカヴィトスの丘に行きたいと言うので。
こちらも体力を温存する必要はあるまいと、同行することにしました。

地下鉄を乗り継いで、延々と坂を登って。
たどり着いたときには、すっかり夜景モード。

神戸を思い出します、こういうの。


20071020_7.jpg
アクロポリス 夜景 (Please click the image)


夜景を一通り堪能してから街に戻り、最後の晩餐。
ちょうど、このアクロポリスを麓から眺められる位置のタベルナでした。

どうでもいい話をいろいろとしながら、
やっぱり日本人同士の方が話はしやすいなぁと今さらながらに感心。

日本人以外だと、私の語学力の限界もありますけど、
それ以上に話題や感覚にはどうしても制限やズレがあるので。

そこが楽しいのも事実なのですが、それなりに疲れるのもまた事実。


年をとったのかなぁと思いつつも、
今回の旅行での一番の収穫だったかもしれません。

変に気を張らずに日本人同士で仲良くするのも楽しいものなんだな、と。
メテオラ観光、第2ラウンド。

麓にあるカランバカの町からの観光バスは、1日2回のみ。
朝の9時と昼の13時で、もちろん狙うは前者。

朝のバスで修道院を巡り、昼には町に戻り、神託の地デルフィに向かうと。
前日の疲れも何のその、我ながら欲深いシナリオです。

まぁ、このシナリオは結局頓挫することになるわけですが…

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朝市。油断してたら寒かったです


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何となく街中から


さすがに、このバスには結構観光客がいました。
その中には、昨日のフィンランド人少年2人の姿も。

とは言え、こちらはゆっくり回るほどの時間が無いので、
適当に世間話をしつつ、さりげなく個人行動。


最初に行ったメガロ・メテオロン修道院では、
何故か戦争関係の展示があったのが印象的でした。

60年程前には、ドイツなど枢軸国との戦いがあり。
さらにその前には、トルコによる侵略があり。

それがいまや、トルコからはどうかわかりませんが、
少なくともドイツやイタリアからは多数の観光客が訪れているわけで。

平和は有難いなぁという一方で、有事が平穏に変わるまでの時間を考えると、
その逆もまた真なりなのかなぁと思ったり。


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ヴァルラーム修道院。 どうしても遠景の方が絵になる…


そんなことを思いながら次のヴァルラーム修道院を巡り、
昨日来た道を逆走しようと思ったら、背後から突然呼び止める声が。

誰かと思いきや…Finnish boys, again.
あー、もうこここまで来たら運命ですね、これは。

2人組みのうち片方はかなり饒舌で、もう一方はとことん無口という、
バランスの取れた組み合わせ。

そのせいか、ちゃんと話してみると結構面白くて。

フィンランドは欧州にしては珍しく徴兵制があり、
兵役前に仕事を辞めて旅行をしているのだそうで。

軍人の卵だけあって格闘技の話とか(ワタシは一応元柔道部)、
アメリカは日本人から見てどうなのかとか、
果ては映画"300"の役者の体作りまで…幅広く語らってました。


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Finnish boys


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アギア・トリアダ修道院にて


そんなこんなでメテオラ観光も終了し、トリカラという街を経由して、
最後の観光地デルフィに向かうはず…だったのですが。

いやもう、バスに乗り込んだときからサイアクだったんですよ

乗客の7割は、高校生だか大学生だか、やたら騒ぎまわる少年少女の群れ。
運転中に歩き回るなよ、音楽聞くんならイヤフォンつけろよと。

ま、学生なんてそんなものなんでしょうけどね…。


それはそれとして。

デルフィに行くには、4時間ほど行ったアムフィサという街で一旦降り、
そこから別のバスに乗る必要があったのですが。

初ギリシャな旅行者には、どこがその街なのか分かるはずもありません。

とは言うものの、バスに乗るときも検札に回ってきた時も、
アムフィサで降りるということは告げてあったので。

運ちゃんが途中で教えてくれるだろうと期待していたのですが。

到着予定時間を過ぎても、その気配は全くありません。
バスが多少遅れているのだろうと、最初は大きく構えていたものの。

日が沈み始めても、一向に着く様子は無く。
ときどき道路に見えるアムフィサへの方向・距離表示は、不規則に入れ替わり。
挙句の果てには、明らかに海岸沿いな道を走り始め。

…あれ、もう行き過ぎているんじゃぁ?

この疑惑が確信に変わるまでは、あまり長い時間を要しませんでしたが。
その頃には、時既に遅し。

海を挟んだ対岸のペロポネソス半島に渡る、
明石海峡大橋のような巨大なアーチがライトアップされていました。


途中停車した際に運ちゃんに抗議するも、
"とにかくバスに乗ってくれ"の一点張りで、全く聞き入れてもらえず。

そして自分としても、中途半端な場所で降ろされて途方に暮れるよりも、
ちゃんとした地名がわかる場所まで行った方が安心なのではという判断が働き。

結局、バスの終点であるパトラの街まで行くハメになりました。


ハイ、予定外です。
この時ほど、選挙運動の騒音と、うるさいだけの花火に腹が立ったことはありませんでした。


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とりあえずやけ食い


とは言え、来てしまったものは仕方が無いので。
神託の地に、"何となく"で行こうとしていた無神論者への罰かなと思い。

串焼き食べて、ビール飲んで、とっとと寝ました。
旅先でのトラブルは楽しむためのもの、ですからね(笑)。
フェリーは約1時間遅れでアテネに到着。

降り際に改めて船内を見回してみて、
船もそれなりに豪華で、お金持ちそうな乗客がそれなりにいることに気づきました。

払ってる額が違うので、当然と言えば当然なのでしょうけど。


早朝のカフェで、インスタントコーヒーから作るというフラッペに挑戦。
その名もネスカフェ。

思い切った名前どおりの、思い切った味でした。
それなりに美味しいのですが、ホントに露骨にインスタント。


ここで時間をつぶした後、鉄道駅に向かったのですが。
到着初日に観光局でゲットしていた時刻表と、どう見ても一致しません。

券売所のおっちゃんに聞いても、「この電車しか無い」の一点張り。

目的地は同じだしとりあえず乗ってみるか、と思ったら。
「満席だ」と次の一言。

ウソ。
これに乗れなかったら、次の電車は8時間後なのに…と食い下がると、
「Standingならある」とシメの一言。

…先にそれ言ってよ。

こういうのは運も大きいと思いますけど、「ギリシャ人は観光客に優しい」
という歩き方の触れ込みは、私の中では完全に否定されました。


この時刻表の間違いが性質の悪いことに、
実際の発車時刻の方が30分早かったんですよね。

つまり、カフェで時間を潰し過ぎていたら、
自動的に8時間待ちの状況に追い込まれていたと。

ちなみに、どうしても納得がいかず観光局情報を見直していたら。
右上に書いてある作成日付が、約1年前でした。

…。


しかも、車内放送がギリシャ語のみなうえ、通過駅でも駅名が書いてないケースが多く、
自分がどこにいるかがわかりづらいんですよね。

これは私の不手際でもあるのですが、鉄道路線表を持っていなかったので、
自分が間違った方向に進んでいないか相当不安でした。

歩き方の、「この直通列車は途中で3両が切り離されるので注意」
などという記述も、ストレスをしっかり倍増。

…はぁ。

車中で会ったフィンランド人少年2人も似たような感想を抱いていたようで、
愚痴を言って笑い合いながら、不満を解消してましたとさ。


結局、30分ほど遅れて無事に目的地に到着。

私が現地から調子に乗って書き込みをしていた、
メテオラという世界遺産がある、カランバカという街です。

街中にいても視界に飛び込んでくる奇岩群に、電車でのアレコレはどこへやら。
いきなりテンション最高潮です。

20071009_1.jpg
素朴な街並、そして岩山


これらの岩の塔を登った先に、6つもの修道院が建設されているのがこのメテオラ。
意味不明です。ステキ過ぎます。

開館時間がやや短いうえ、曜日によってどこかの修道院が閉まっているので、
時間は無駄には出来ません。

相変わらず適当に決めた宿に荷物を放り出し、シャワーを浴びてからいざ登山。

1日2回の山頂までのバスはもう終わってしまっていたので、
トレッキングロードを30分登ってメテオラ地域へ。

昨晩からの睡眠不足も手伝って、山道をひたすら邁進するだけで、
聖闘士の修行をしている気分になってたような。

他に人が全然いないので、ますますテンションがあがるんですよね。

出会ったのは、山から下りて来たドイツ人夫婦のみ。
言葉は通じなかったものの、挨拶とボディーランゲージだけで無駄に盛り上がってました。


20071009_2.jpg
ハイテンションで乗り切ったものの、結構な道です


トレッキングロードを登りきってすぐのアギア・トリアダ修道院は休館日だったので、
さらっと覗くだけ覗いて、アギオス・ステファノス修道院へ。

やや意外なことに、ここから先はフツーに舗装された道路。
自家用車が自分を追い抜いていき、修道院前の道路には大型バスが。

世界遺産の名に恥じぬ、一級の観光地という証なのでしょう。
こういう場所こそ自分の足で歩き倒した方が、喜びは大きいと思うのですが…。

ま、お年寄りにはかなり厳しい道ですし、仕方の無いことだと解釈しておきます。


20071009_3.jpg
アギオス・ステファノス修道院 遠景


修道院の中は、いたってフツーでした。
とはいえ、重機も電気も無い時代に、こんな岩山に修道院を建てる信仰心には脱帽です。

お手頃価格のチョーカーや修道士のお手製レースなどが販売されており、
実家へのお土産物でもと思ったものの、やや宗教色が強かったので、結局断念。

うちのバアさん、一応浄土真宗の信徒ですからねぇ…。


20071009_4.jpg
山道で出遭ったクロネコ。恐らく、修道院の飼い猫ですが


その後、銀嶺を1時間ほど往き、唯一まだ開いているルサヌー修道院へ。
ま、修道院の内観自体は、そこまで大きくは変わらないんですけど。

全てを制覇したいというさもしいコレクター的精神と、
途中の風景を堪能したいという気持ちが相まって、ついつい向かってしまうわけです。


教会の中には礼拝堂があり、どうやらそこが一番の見所のようであるものの。
拷問とか処刑とか、壁画は結構際どい内容が多かったですね。

ツアーガイドの説明を盗み聞きしてもよくわからなかったのですが、
他民族による征服や弾圧など、複雑な歴史が影響しているのでしょう。

きっと。


20071009_5.jpg
ルサヌー修道院 遠景


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ルサヌー修道院 近景


本日の修道院巡りはここで終了。
道に迷いつつも、1時間ほどかけてカランバカの街中へ。

自分で言うのも何ですが、クレタから夜行便で着いた当日にしては元気過ぎます。
後先考えないからなー。


そのクレタからの船便で会った人から聞いてやっと知ったのですが、
このところ毎晩妙な集まりが随所であったのは、選挙の影響だったようです。

最初は音楽なんかをかけて人を集めつつ、途中から政治家が登壇して、
あーだこーだと演説をぶってたわけですね。

で、シュプレヒコールにあわせてラッパのような音が鳴り響いていたと。

人々もタベルナで飲み食いしながらその様子を見ているわけで、
ついつい盛り上がってしまうのも理解できます。

暴走族の集会かと誤解してしまい、大変恐縮であります…。


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夕食。前菜のはずのGrilled Cheeseとチーズたっぷりのパスタが同時に


このカランバカ、若干英語の通用度は低いものの、その分素朴で感じの良い街でした。

いくら選挙戦中で人の手が多いとはいえ、
こどもが夜の10時を過ぎても三輪車で走り回ってるって。

この奇岩群も、観光客からすると圧巻の一言なのですが、
地元の人にとっては、気にとめることも無い日常の風景みたいでしたね。

ま、姫路市内のいたるところから姫路城が見えるひめじんと、
同じ感覚なのでしょう。

二度寝、三度寝を繰り返しながら…起きた時間は忘れました。
ただ、周りの住人たちはまだみんな寝ていました。

気にせず、そして音を立てないように外出。

今日はこれからどうするか、アテネへの船便はどうするか、意外に減った現金をどうするか。
旅戦略を練りながら、早朝の街中をぷらぷら。

ハイ、街歩きが趣味なのです。


20071007_1.jpg
朝ご飯。ホウレンソウの入ったパイです


"担当者がいないから15分後に来て"と言われた旅行会社との口約束はすっぽかし、
さしあたりアテネへの船便だけは確保し、ホステルへ帰還。

予想通り、他の住民はみんな仲良しさん同士でした。
一晩に2組、計4人しか泊まらないホステル…ま、時期が時期なんでしょうね。


チェックアウト間際に出発し、向かった先はクノッソス宮殿跡。
半人半牛の怪物、ミノタウロスが閉じ込められたという伝説の残る地です。

ちなみに、"ロウで固めた鳥の羽"で有名なイカロスくんは、
この宮殿を設計したダイダロスさんの息子さんです。

ミノタウロス退治の片棒を担いだ罪で父子ともども幽閉され、
逃亡をこころみるも調子に乗った少年は…という筋書きだそうです。


それはそれとして。
この宮殿へ向かうバスが、すっごい混んでやんの。

この段になって、やっと実感しました。
ギリシャは、ヨーロッパの皆さんにとっての観光地だということを。

東アジア人はいなくとも、大欧州なtouristはいっぱいだったわけです。


さらに、それはそれとして。
私をクレタ島へと呼び寄せたこの宮殿は、ハッキリ言って廃墟でした。

仏語だか独語だか伊語だかわからないガイドの声を無視して心を澄ませば、
往年の栄華をたたえた宮殿が脳裏に浮かぶのですが。

ややもすれば、何のロマンも感じずに終わってしまいそうな場所。

ま、私は3時間粘って、精一杯想像力を駆使してきましたけどね。


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ミノタウロスな絵


街に戻ったらもう結構な時間だったので、
まず15時には閉まってしまうという戦争博物館へ。

客、他にはゼロ。
館員、客を無視して電話でがなりっぱなし。
展示、ほとんどギリシャ語ばかり。

…しゅーりょー。


20071007_3.jpg
ギリシャにもあったんだと


気を取り直して、大通りに面したカフェで昼食。

Stuffed Tomatoという、トマトやピーマンの中に味付けした米を詰め込んだ料理。
トマト好きにはたまらない一品です。

お店のサービス方針なのか、お客さんがどこから来たのか聞いて、
その国の言葉で挨拶していたのがちょっと面白かったです。

挨拶程度なら、仏とか独とか伊とか露とかが、私にも区別がつくので…
あぁやっぱりいろんなとこから来てるんだなぁと。


20071007_4.jpg
昼からビールは基本です。本の左には既に空になったジョッキが(笑)


おなかもくちくなったところで…持て余したのが時間。
これから足を運びたいのは、現在改装中の考古学博物館のみ。

街中は十分歩いたし、フェリーは夜便だし…。

結局取った行動が、「公園で昼寝」。

シェスタですよ、シェスタ。
ここのところ歩き詰めでしたし、旅行者にも休養が必要なのですよ。

どこの浮浪者か異常者だと自分で思いながらも、2時間ほどベンチで昼寝。
うーん、旅の恥は掻き捨てですな。

ってか、こんなこと日本でもしたことないような。

実際問題疲労はたまってましたし、木陰に吹く風は非常に心地良く、
とても快適なお昼寝タイムだったわけですが。


んで、考古学博物館。
改装工事の真っ只中ということで、一部の名品のみの展示。

最初は寂しいかなと思ったものの、見るポイントが絞られて逆に良かったです。

展示物の説明書きを逐一読んでいくと結構疲れるので、
数が少ない方が集中力は長続きするということで。

昼間の戦争博物館に続き、ここで実感したギリシャのもう1つの顔が、
公務員的サービス業な人たちのやる気の無さ。

館員がずーっとおしゃべりしたり、携帯で何かしてたり、
閉館間際になるとソワソワしだしたり。

まー、別にいいんすけどね。
わからない言葉で何を話されても、BGMと変わりませんから。


20071007_5.jpg
何となくお気に入り


街中で夕食用のパンを買出し、夜もとっぷり暮れた頃にフェリー乗り場へ。

ここで私が変なおっちゃんに絡まれたのがきっかけで知り合ったのが、
マルタに留学中という日本人女性。

ほんとに、一昔前は海外まで来て日本語を使うのはキライだったんですけどね。
我ながら丸くなったものです。

でまぁ、話を聞いているとこれがまた面白くて。

失礼ながら"ヤルタに始まりマルタに終わる"以外全く印象の無い国ですが、
英語留学の地としては、欧州ではかなりメジャーだとのこと。

英国みたいな高物価でも米国みたいな遠距離でもないというのが、人気の秘訣とのこと。

とは言え、東欧やトルコあたりから留学に来る人は、富豪のご子息が多いらしく。
ステキな友人がたくさんできるとのこと。

なるほどなぁ、という感じでした。


ちなみに、アテネまで9時間ほどの夜行フェリーだったのですが、
ベッドつきのキャビンなんてひよった真似はせず、椅子寝りの4等座席。

後々さらにギリシャについて気づかされることの伏線になるのですが、
このcheapestな空間にいたのは、ほとんどがインド的南アジアな人たち。

もーね、うるさいのなんのって(笑)。
テレビのチャンネルを変えまくって騒ぐわ、仲間同士で集まって騒ぐわ。


20071007_6.jpg
夜半には凄惨な光景が


ちなみに、夜中に目が覚めたときに、ふとデッキに出てみたら。
旅慣れた白人系な人たちは、寝袋にくるまってデッキのベンチで寝ていました。

いやホント、なるほどなぁ…。
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